カイゼンジャーニーとふりかえり

カイゼンジャーニーの読書は、まだ進みません。ということで、読みながら書いてみます。
ふりかえりを定義してたりしますね。一言、反省することといってしまうと、ぼやけてしまうので、普通の言葉にする必要はあります。
そこで考えるのが、果たしてこの定義で自分は納得するだろうか、という問題。自分が納得していない、つまりは自分の中で消化していない用語は、理解していると言えるのだろうか。
まだ、理解しているというには及ばない。ここ一月、ふりかえりをしているが、明らかにこの定義とは外れたやり方でしている。
自分は、ふりかえりで、「今日はどうだったか、今をどう理解しているか、これからどうするか」に注力している。
なので、普通の言葉で、ふりかえりをしている。昨日と今日と、明らかに違いがある訳ではないが、どのようなスタンスで今に立ち向かうか、という姿勢を見せることになるかな? みたいには考えている。
さて、ふりかえりばかりしていても、前に進むことはできない。
今のところ、自分のふりかえりをカイゼンしようとは考えていない。というのも、自分の文章力に問題があるのを自覚しており、その解消のために日本語力を向上させる必要があり、箇条書きみたいな、中略しているような書き方をできるだけ避けたいからだ。
自分の文章力は、未だ実用的ではない。普通の人とは外れた言葉遣いをしている。それの修正に力を注がないと、このブログは読まれないブログになるだろう、と考えている。
いつの間にか、このブログのふりかえりになっているが、それは意図していない。意図しない方向に話が進むのは、どうにかならないだろうか。