雑記ブログの典型みたいな、雑記以外に書かれてない文章。

特に意図がないときのブログの書き方に悩んでしまうのだけど、ブログで書けることを、淡々と書くことが、自分らしいのでは? と思ってみたり。 暑い日には、暑いと文句をいい、また寒い日には、ボクのダジャレとどっちが寒いかな? と寒さ比べをしてみたり。 そんな、誰も聴いてないことを書く暇があるのなら、もっと有効なことを語って見やがれ、と思うのですが、なかなか実益のあることは思い浮かばないのです。 そんな、読書も途中でブログを書いているという自分なのですが、今日は新しい発見があったりなかったり。新しい発見自体はあったのですが、公表するほどでもないという。ニュートンが、「リンゴ落ちよったで」とブログに書いたのか問題は、どうも親類に「ニュートンはね、あの大発見をリンゴが落ちたことで発見したのよ」的なことを言いふらしたおしゃべりおばさんがいたらしい、という感じに理解しているのだけど、真相は藪の中と。 誰得な情報を追加することで、なんとも言えない空気を作り出すのがうまい、と自画自賛する自分ですが、それが褒め言葉になっているかどうかという審議が要ります。 こういう、どうでもいい情報でブログを埋めるのは、時には楽しく、時には面倒に感じるものですが、今日は面白いという風に振り幅が触れています。楽しいのならブログを書けばいいじゃない、的な話です。 今年も押し迫って、あと155日だったりするのですが、なんて中途半端な、とツッコムところかどうかを悩ませるのも楽しみの一つ。 こういうことを書くのはどういう心境かというと、昼間の熱が未だに溶けずに、脳が熱暴走している感じと言えば、分かるでしょうか。 こんな日は、ブログが進むなーでも進める意味が無いなーとか思ったり。もう少し、話を詰めると、ブログを書いているのに一向にタイトルになり得る、コアな話題が書かれていないぞ的な、もう少し書けば、何かひらめくかもしれないという安直な理由でブログをだらだらと書いていたりします。 書くのは自由だ。それを読む人のことを考えなければ。というわけで、ここでこの文章を読んでいる人、できれば石は投げずに地面においていただくのが賢明と思われます。私は非暴力主義です。 それにしても、ボクの書く文章は、だいぶ読みやすくなったなと今度は自己陶酔です。20代の頃の文章はそれはそれはひどかった。何しろ、書いている自分ですら、意図がまるで読めなかったから。なんか、たたんである紙になんか文章がかかれてあるな、とその紙を広げてみれば、中にも文章が書かれていて、それで一つの文章になっている、みたいな感じの、とにかくややこしいとしか表現しきれない、そんな文体だったので、現在のまだ人類に読める文章力に納めている、トリッキー過ぎない文章に、我ながらほっと一息ついていたりするのです。