「フリーライド」しているのはどちらか

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こういう記事を読んだ。

人口に対する、気質の配分は精査してないから変化しているのかは分からないけど、少なくとも、社会に必要とされている人間の気質の範囲は狭まっているのではないか、という記事。

まあ、社会の輪から外れた時に、病名が付く、というパターンは多いだろう。 企業が必要としている人間 < 社会を構成する人間、なので、企業は存続を目的とするなら有益な人間しか就社できないだろう。

就職していない、つまり利益を生まない人間というのはいるので、その維持にコストがかかる。

さて、社会は根源的に、持続可能性のあるシステムでなければならない、という命題があると思う。 さらに、セーフティーネットがある社会が望ましい、とも思う。 というのも、見返りというか、リスクのある仕事というのは存在するので、そのリスクを請け負う見返りで、仕事が出来なくなった場合を想定するのは普通のことだとおもう。

企業が置かれている社会は、そういったシステムを内包していないと安心できない。 システムの維持にはコストがかかる。そのコストのうち金額面は、就職者か、企業が払っているだろう。 しかし、お金だけがコストではない。誰かが、その維持にボランティアしなければならない。 その、時間と労力を払っているのは誰だろうか。

仕事だけに専念している、いわゆる高給取りは、弱者を支えるシステムによって生み出される治安などのインフラにフリーライドしていないだろうか。